手相の歴史
手相からいろんなことを読み取る手相術は3,000年前から5,000年前の古代インドという説が一番有力ですが、はっきりしたことは分かりません。
旧約聖書ヨブ記37-7に「人の手の業をすべて封じ込め、すべての人間に御業を認めさせられる」(新共同訳)という記述があり、これは手相のことを言っているのではないかとも言われています。
ギリシャ時代にも中世にも、多くの人たちが手相の研究をしていますが、中には内容に随分首をかしげざるを得ないものも多数ありました。
その一方、中国において紀元前770年〜紀元前403年頃には、運命判断や、病気を診断する手段の一つにも使われていたようです。
そして、中国を通って日本へ手相を伝えたのは、仏教の伝道師たちでした。
江戸時代に中国から神相全編という手相・人相の本が輸入されましたが、水野南北などはこの本に書いてあることが全く当たらないので頭に来て、髪結いと三助と葬儀屋を3年ずつやって独自の人相学を編み出しています。
しかし手相については明治時代まで全くあてにならない、ひどい手相術が流布していました。
ヨーロッパではアジアとの交流が始まってから手相術が盛んになりました。
シルクロードを通り、中近東、ヨーロッパへ伝えたのはジプシーたちでした。
特にギリシャでは数多くの知識人が手相に興味を持ちました。
プラトン、アリストテレスなどは手相に関する著作があります。
手相術の世界に革命を起こしたのがアイルランド生まれのキロ(Cheiro,別名Count Louis Hamon, 本名William John Warner, 1866-1936)でした。
彼は19世紀末のオカルトブームに乗って、様々な団体の研究や東洋の色々な思想なども研究し、独自の手相学をまとめ、その普及に尽力しました。
彼はマーク・トウェイン、サラ・ベルナールなど多数の有名人をクライアントにし、その巧みな話術で多くの人を惹き付けて、いわば「手相の伝道師」的な活躍をしました。
彼のまとめた手相学はとても的中率が高かったため、多くの人がそれを参考にし、日本でも大和田斉眼などがこの理論を輸入して、普及に力を入れます。
この結果それまでの手相占いはほぼ一掃されますが、その一部は戦後1960年代頃まではまだ少し残っていました。
結局は現代でも、日本の手相家のおそらく99%くらいが、このキロの系統の西洋手相術を使用しています。
近年では手相と知能や性格との関係を科学的に見直す試みがなされていますが、まだまだ本当の意味は解明できないままでした。
そしてついに西暦2005年、このプレアデス手相リーディングによって、今まで解明出来なかった手相の事実が明らかになったのです。
参考文献:PALMISTRY手相がわかる(浅野 八郎著)他より
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